1953 Vitrines

Vitrine No. 12 リズム・イン・スペース Rhythm in Space

1953-Vitrine-No_12-リズム・イン・スペース-A_036

1953-Vitrine-No_12-リズム・イン・スペース-B_403


第5回アンデパンダン展(主催:読売新聞社)
ヴィトリーヌ No. 24 鳥

1953-Vitrine-No_24-09-030-01

1953-Vitrine-No_24-空間の音楽・ヴィトリーヌNo24-03-004-01


1953年「山口勝弘個展」タケミヤ画廊

1953-takemiya-koten-02-014-01

東京神田、駿河台下に戦前からあった竹見屋洋画材店が、1951年に再建された。店舗の大部分を改装して画材販売だけで なく、若手作家のために無料の貸画廊スペースとして開放しようという店主の箆正人と先代の番頭、浅尾丁策による構想のもと、タケミヤ画廊が誕生した。展覧 会の企画や作家の選定については鶴岡政男、阿部展也らの案により瀧口修造が依頼された。瀧口は「個展や実のあるグループ展」にこそ、従来の美術団体に属し て作品を発表する方法にかわる新しい可能性があるという考えがあったことから、以後、同画廊では1951年6月阿部展也展にはじまり1957年の春に閉鎖 されるまで、208回にわたる作家、グループ展の数々が開催された。会期は1週間から2週間程度で、瀧口による企画展もあれば、若手新人作家、画学生によ る申込みに瀧口が面談した場合もあり、実験工房展第3回をはじめ、北代省三、山口勝弘、福島秀子らの個展も行われた。瀧口が「新しい芸術のための温床、道 場でもあり娯しいクラブでもある生気にみちた場所にしたいと念願している」(「阿部展也デッサン・油絵個人展」パンフレット)というように、タケミヤ画廊 に芽生えた実験的な性格は、アンデパンダン展やその他の画廊展と共に、1950年代に生まれた新しい美術展としての意味を担った。
(朝木由香「タケミヤ画廊」「実験工房展 – 戦後芸術を切り拓く」 神奈川県立美術館、2013年、79頁)

Vitrine No. 36 空虚な眼 Vacant Eye

1953-Vitrine-No_36-空虚な眼-Vacant_Eye-10010

1953-Vitrine-No_36-空虚な目-Vacant_Eye-09-005-01

Vitrine No. 36 空虚な眼 Vacant Eye (detail)

1953-Vitrine-No_36-空虚な眼-Vacant_Eye-detail-09-005-02

1953-山口勝弘-ヴィトリーヌ展-タケミヤ画廊-工芸ニュース-1953年8月号

山口勝弘 ヴィトリーヌ展 工芸ニュース 1953年8月号


アフリカの華 Flowers of Africa
56.0 × 94.5 x 10.0 cm

1953-Vitrine-アフリカの花-Flowers_of_Africa-6-10022-1

1953-Vitrine-アフリカの花-Flowers_of_Africa-09-004-01-1


ヴィトリーヌの構造・特許書類

1953-vitrines-patent-構造1

1953-vitrines-patent-構造2

1953-vitrines-patent-構造図

1953-vitrines-patent-図1

1953-vitrines-patent-図2

1953-vitrines-patent-説明書1

1953-vitrines-patent-説明書2

1953-vitrines-patent-登録願

1953-vitrines-patent-登録広告願の決定

1953-vitrines-patent

 


1952-1958 Vitrines

1952 Vitrines

1954 Vitrines

1955 Vitrines

1956 Vitrines

1957 Vitrines

1958 Vitrines