1987 「限りなく実体から遠ざかる時へ向う」

特集 = テクノ・アート
ユリイカ、昭和62年6月号

限りなく実体から遠ざかる時へ向う
山口勝弘

いつも問題になるのは、ハイテクノロジーと芸術という場合、作品を制作する過程で、地味な手仕事的な仕事の部分が少なくないことが見逃されている点である。
ハイテクなどというと頭と機械だけで、作品が出来上がってしまうようにみえるらしい。
しかし実際には、そういうわけにはいかない。
結果として機能的に動いているものでも、手仕事、人力、まとめるための時間が必要不可欠な要素となっている。だから、ハイテクノロジー・アートという名称で呼ばれる分野は、しばしば素朴な誤解を蒙っている。
ハイテクノロジーに属する電子テクノロジーとともに、従来の機械テクノロジーが組み込まれているものもあるし、とくに芸術作品というのは、一品生産というより実験要素をもった試作品に近いものが多いから、制作の過程には手仕事の占める割合が高い。
にもかかわらず、あえてハイテクノロジー・アートという理由には、ハイテクノロジーを基盤として形成されつつある、ポスト・インダストリアル社会を意識して、そのなかに生成されつつある文化的変容、感覚的変容、あるいは意識に影響を与えてゆくであろう知覚上の新しい刺激を、作品のなかで把えようとしているからである。
そして、もう一つ言葉の問題として触れておかなくてはならないのは、我が国で使われているハイテクノロジーという言葉は、欧米の場合、ニューテクノロジーあるいは、エレクトロニクスという言葉に相当する。
しかしいずれにせよ、ハイにせよニューにせよ、何に対してそうなのか、その差別はどこにあるのかという問題はのこる。
ただ、われわれが用いているのは、芸術の分野での用語としてであり、また前にも述べたように、先端技術そのものの研究ではないから、かなり曖昧な語法である。
決して責任回避の意味ではないが、たとえば十九世紀の印象派だとか、二十世紀初めの立体派のような、芸術上の動きや運動を意味しているものと言っていいだろう。

ところで、このハイテクノロジー・アートという領域の芸術はどのような概念によって把えるべきなのか、テクノロジーに価値を置いているのか、あるいはそれら二つの分野はどのように関係しているのか、いろいろ疑問を呼ぶであろう。
すでに、一九六〇年代にアート・アンド・テクノロジーという言葉によって、芸術と科学技術の関わる作品や表現手段を意識的に把えようとしたことがある。
そして、この時代に考えられていたことは、新しく生まれつつある技術上のノウハウが、芸術家のアイデア、あるいは表現手段に役立つかもしれないという期待が前提となって、芸術家と技術者とのお見合いを試みた例の「E・A・T」(experiments of art and technology)に代表されている。
しかし、すでに一九五〇年代末から一九六〇年代を通じて、戦後に開発の進んできたテクノロジーやメディアの発達は、芸術家たちの気づくよりも早く、生活の各領域への実用化が進行し、ほとんどの場合、すでに実現した技術の成果を芸術に応用する、という方向を受け入れざるをえなかった。
たとえば、一九六〇年代のライト・アートや、キネティック・アートや、映像にかかわる実験映画やマルチ・プロジェクションなども、それらの作品に用いられる素材やテクノロジーは、必ずしも新しい分野のものに限られていたわけではない。
むしろ、実用化してしまっている素材やテクノロジーを、審美性や表現上の面から見直しを計ったものだといっていい。
つまり、テクノロジーの成果を、芸術の視点からもう一つ別の成果として拾いだすことが行われた。ということは、テクノロジーそのものの価値を、社会的視点とか、人間的視点という設定から、もう一度問い直すということにより、芸術上での可能性を発見するという、楽天的な見方に立って行われたという批判があった。
この種の批判というのはテクノジーを意識したり、その結果を作品制作の手法として導入する場合、必ず起こってくる種類のものである。
しかし、芸術そのものが社会のなかで果たしている機能からみて、テクノロジーを積極的に導入しまいとしようと、テクノロジー導入という立場だけに限定して批判してしまうのは間違いだし、テクノロジーに全く無関係な素材や技法を用いているからといって、それがテクノロジー批判となっているわけではないのも当然である。
そして、この種の批判が、その対象として概念化しているものが、常に表面的な作品の現象を指しているか、既成のアート・アンド・テクノロジーという文脈で作品を見ている場合か、どちらかである。とくに、後者の場合にはテクノロジーが、体制側の倫理のままに開発され、一種のイデオロギー化してゆく路線への批判がある。
しかし、少なくとも二十世紀のアート・アンド・テクノロジーの歴史をふりかえってみると、テクノロジーに対する芸術家たちの反応や、その導入の立場には、支配的なテクノロジーに対して盲目であったとはいえない。

芸術家にとって、新しいテクノロジーはつねに、芸術を社会に向かって開示してゆくためのものであると同時に、社会に対して封印してゆくためのものであった。
この両義性をより強く意識化する上で、しばしば芸術でのテクノロジーの認識が、社会的機能から逸脱したり、ユートピア的な傾向を帯びさせざるをえなかったのは当然である。
たとえば、一九二〇年代に、二十世紀におけるアート・アンド・テクノロジーの方向を国家的イデオロギーと平行して、芸術上のイデオロギーとしたロシア構成主義の運動のなかにも、一種のカウンター・テクノロジーの流れがあり、それは当時の主流から外れた有機的構成主義と呼ばれている。
この流れを代表しているのは、タトリンとミトゥーリチであり、いわゆる無機的な機械によって構成されていく形態ではなく、自然界につながる有機的形態から、そのデザインを示唆される方向を選んでいた。
この二人の有機的構成主義者への思想的系譜には、哲学者のニコライ・フェードロフの名とその影響を受けた詩人のクーレブニコフがいる。なかでもフェードロフは地球上へ構成的なモニュメントを打ち立てる重力主義的なテクノロジーではなく、磁力と引力の相互作用と法則のコントロールによって、地球そのものをあたかも一個の宇宙船として、宇宙空間を意のままに旅行させるシステムを提案していた。
この磁力に対する関心は、同じく一九二〇年代にオーストリアの建築家フレデリック・キースラーの思想的背景にも現れているもので、のちにキースラーの造形的関心を表現した「銀河系シリーズ」の作品のなかに継承されている。
キースラーは、その遺著とでもいうべき『エンドレス・ハウスの内面』(一九六六)のなかに「モビロイド」と名付けた構想を発表している。
Mobiloid の構想を実現するメカニズムとして、彼は磁力場の壁を考えていた。この見えない壁の後に、電磁力を組み込まれたオブジェが浮かんでいて、緩急自在に動かすことになる。それらは決められた軌道の上で止まったり、走ったり、あるいは時計の針のようにゆっくりと動くこともできる。
こうして人間は、この磁力の働きを、分サイクル、時間サイクル、また昼夜のサイクルへ切り替えることが可能である。聴きたい音楽をとりだせるミュージック・ボックスのように、自由な演奏を楽しめる。場合によっては偶然の働きも機械的なセットから送り出すこともできる。
このキースラーの「モビロイド」こそ、現在の超伝導物質とコンピュータ制御を用いれば、高度なキネティック・アートの道を拓くものとなるだろう。
キースラー自身も、「この絵画でも、彫刻でも、実際のオブジェでもないモビロイドこそ、室内に宇宙を創造するものとなる」と述べている。
フェードロフの構想は、地球そのものを磁力場によって動かすという壮大なものが、キースラーの「モビロイド」と同じく、惑星が宇宙空間の軌道上を運行している、その宇宙運動の抽象化であり、また自然の法則のリアリティとともにあるテクノロジーの考えに基づいていた。
こうした宇宙的構想力から生まれるテクノロジーによる構成主義が、クーレプニコフの「未来都市」のスケッチのなかに描かれている。
たとえば蜂の巣状の構築物のなかに、ガラス製の規格型の住宅ユニットが挿入されるものは、取り外し自由で、移住者の必要に応じて、あちこちの構築物の間を移動し旅行することができる。
こういう重力的支配や定着から解放されてゆく生活のテクノロジーは、シャルル・フーリエ的哲学にもつながる。
このクーレプニコフの影響を受けた結果、ミトゥーリチの飛行運動と波動運動へのテクノロジー研究が生まれることになる。ミトゥーリチの飛行体への関心は、タトリンの飛行体「レタトリン」より数年早く構想され、一九一四年から始められている。その後第一次世界大戦とロシア内戦をはさむ休止をへて、最初のオーニソプターの制作に入っている。
やがてミトゥーリチの関心は、波動運動の研究へ発展し、翼や飛行に関する数多くのパテントを取得する。さらに一九三〇年に入ると、魚と同じように水中を泳ぐメカニズムをもつ船の研究「VOLNOVIK」へ入ってゆく。

この「VOLNOVIK」と呼ばれるメカニズムの船は、波動運動を動力とすることによって水中を進んでゆく。そのための形態から構造にいたる数多くのドローイングが描かれ、いもむし状の動きを伝達する細部のメカニズムの研究を続けている。ミトゥーリチをこのような、一種のユートピア的なテクノロジーへと駆り立てていった理由は、実は彼自身が抱き続けていた、自然そのもののなかにあるテクノロジーへの共感であり、人間がテクノロジーによって作り出すであろう環境を、芸術—建築家によって再構築することにあったからである。
ミトゥーリチはすでにこの三〇年代の時点で、アメリカ型のテクノロジーに対して、対抗テクノロジーの意義を説いていたのである。彼は、アメリカの社会を養鶏所型テクノロジーとして批判していたが、彼自身のソ連もまた、結果的に同じ道をたどることになった。
そのアメリカにおいて、バックミンスター・フラーやフレデリック・キースラーが、近代主義から肥大していったテクノロジーの危機を訴え、理想主義的な哲学を背景としながら、対抗テクノロジーに立った建築と都市像を提案したのは一九四〇年代以降のことになる。
とくにフラーは生態学的視点を取り入れた「宇宙船地球号」という名称で、地球そのものを宇宙船とみる立場からテクノロジーの再編成を試みようとした。
こうした近代テクノロジーは社会的プリンシプルとして、アメリカをはじめ西欧型近代諸国に波及してゆくなかに、対抗テクノロジーの可能性を追っていたユートピアンたちがいたのである。
そして、芸術家たちはこうした時代の進展のなかで、テクノロジーから埋めれる審美主義と、芸術そのもののなかにある対抗性によって、アート・アンド・テクノロジーの歴史を進めていたといえる。
したがって、一九六〇年代の近代主義の終焉が、アメリカの無謀な戦いの継続によって加速されるとともに、アート・アンド・テクノロジーの一部の作品は、美術館のコレクションとしてリタイヤーしてゆかざるを得ない。

ところで、この一九八〇年代に至り、ふたたびアートとテクノロジーの関わりが注目されるようになってきたのは、いかなる理由なのか。
たしかに、一九六〇年代がその締めくくりのの時点で、「機械時代の終りに当って」というニューヨーク近代美術館の展覧会のタイトルの示す通り、エレクトロニクスを中心とする新しいテクノロジーの時代へのバトンタッチを行なった。とするとなら、この一九八〇年代は一九七〇年代という地球への回顧の準備期のあと、ふたたびテクノロジーへの期待の高まる時期を迎えているといえる。
しかし、この一九八〇年代に現れてきたハイテクノロジーの姿と実体は、すでに一九六〇年代のように形あるもの、触知可能なものから遠ざかっている。
たとえば、コンピュータ・グラフィックの果たしつつある役割は、テレビ・コマーシャルやCGアートのような視覚上の感覚から意識層へ侵入してくるイメージ上の操作よりは、軍事上の、科学上のさまざまな研究のシミュレーション装置として、頭脳判断を行なう上で欠くことのできない操作機能をもち、また機械設計から都市計画へ至るあらゆる人工物の設計とデザインにも多大な貢献をしている。
こういう多機能というより万能に近い能力を帯びたテクノロジーが、われわれの生活に深くかかわるとき、はたして芸術という言葉の持っている価値基準が、いまだに有効であるのだろうか。
かつて自然が人間の生活に深く関わりを持っていた時代には、自然のなかに秘められたテクノロジーを掘り出し見つけ出すことによって、われわれの生活が豊かになっていったし、また自然を見ることによって、われわれの美や感性の豊かな可能性を得ることができた。
しかし、こういう言い方の自然だけが、いまわれわれにとっての自然ではない。形の見えないものも、触知しえないものも、新しいテクノロジーは見えるものにする。いわゆるシミュラクルな方法によって生まれている世界、あるいはシミュレーションによってのみ人間とかかわりあえる世界が、眼の前にある。
コンピュータ・グラフィックの画面を見て、われわれが驚くのは、ただ単に」CRT上にあらゆる対象物の三次元空間の運動が描き出されるという点にではない。
あらゆるモーション・コントロールを備えた眼の移動—視点のダイナミズムをわれわれはシミュレーションしているのである。対象物を動かすという手法や、動く対象物を記録する方法から生まれたキネティック・アートや、映画の目的としたものとはまったく異なる方法論が生まれたのである。
ロシア構成主義のなかの対抗テクノロジーとして夢見たフェードロフや。キースラーの「モビロイド」にあった磁力場による地球から物体までの自由な操作は、少なくともこのコンピュータ・グラフィックが可能とした視点のダイナミズムと対象の超三次元的運動操作によって、CRT上のシミュレーションとして実現している。
しかし実は、われわれの物理的な肉体はじっとCRTの前に座っている。われわれの眼は、子の静止した肉体のなかに埋め込まれたまま、CRT上をさまよっているだけである。
すべての浮遊感、すべての高速移動は、CRT上でのシミュレーションにすぎない。われわれの肉体は、一歩もこの部屋の空間を出ることなく、静止したまま、宇宙空間のあらゆる地点を移動しつづけることさえ可能である。
この経験は、すでに高度一万メートルを飛行するジェット旅客機の乗客であるわれわれが、シートベルトによって座席に固定されたまま、小さな窓から地球上を眺めているときのものと、それほどの隔たりはない。
また、スペース・シャトルの乗員が経験しているであろうシャトル船内での日常生活も同じような、シミュレーション・コントロールによって行なわれるものであろう。
ということは、テクノロジーのもたらしつつある世界は、人間の進化というよりは退行化させる条件の上に、新しい勝ち基準を見いだそうとしていることになる。
すでに述べたように、新しいテクノロジーは、芸術によって新しい世界を開示するかしないかより、テクノロジーそのものが、新しい世界の内容を開示しているのだし、また芸術の役割にかかわると否にかかわらず、人間を世界から封印してゆくためのものであろうそしている。

ハイテクノロジー・アートと呼ばれる多くの作品の共通項として挙げられるのは、視覚的世界に生起する軽やかな光の脈動感や、絶えず変わり続けるイメージの移ろいや、休まず永遠に動き続ける精密な運動感などである。
これらのオブジェを見ていると、宇宙の最後まで止まることのない法則のままに生き延びてゆくかのような錯覚に陥る。
伊藤隆道の回転するオブジェや、松村泰三の発光風車や、無眼焦点から飛来するビデオ・アートのイメージなどに現れているものだ。
しかし一方、シミュレーション化されるイメージ世界が、その背後に多かれ少なかれ重さをもった物体世界の支持体から逃れられないために、それらの作品や装置は子宮内の胎児のように、母親である地球とつながっているのである。
さきに述べたCRT上でシミュレートされる無重力的視点の運動が、視覚から身体へ想像力の場を形成しているときも、われわれの身体が物質的存在であり続けているのと同様に、CRTの画面は、依然としてガラスのチューヴと四角っぽい箱のボディーから逃れられないままでいる。
私の作品「プラネット・ステーション」が、鏡の上に傾斜したCRTの画面を映し出し、あたかも水面上の反映とともに暗黒空間にシミュラクルな立方体が浮遊しているかのような世界を見せながら、意識のもう一つのスイッチは、二十一インチのテレビ・ボックスにいつでも切り換えられる。
ハイテクロジーと結びついて生まれる芸術の持っている宿命的な姿が、ここに現れている。
だから、たとえ眼の前の空間に、立体の運動するホログラフィックなイメージが出現したとしても、それらはイメージイメージ世界に属しているだけで、われわれの物理的身体が占める空間へ、内部浸透をゆるさない。
最近のハイテクノロジー作品のいくつかのものには、こうしたイメージ・シミュレーションと物質の間の相互関係を意識的にとりあげようとしているものが現れている。
たとえば、逢坂卓郎が続けているシュールレアリスティックな環境装置をみると、それは映画「ブレードランナー」ほど文学的ではないにせよ、一種の終末的な世界のジオラマである。
イメージが、光や音とともに明滅しているこの環境は、水や仕切り壁の物質的存在が絶えず剥離しつづけ、しかもそのなかにいるわれわれも自分の肉体が蒸発化しているような存在として感じる。
J・G・バラードの「バーミリオン・サンズ」シリーズに描き出されている未来の透明な終末風景とは、まったく逆の陰湿な雰囲気をもっていながら、やはりこの二つの環境装置は表裏一体のものであるかのように思うつまり、CRT やホログラム化されるイメージ上のシミュレーションとは別の、物質的環境のシミュレーションとともにイメージ化させる方法論をとっている。
そして、こういうハイテクノロジー化という未来世界への見通しから仮構される環境シミュレーションは、いわゆる美術世界で試みられるインスタレーションとはまったく別の次元のものである。
また、同じく逢坂と作曲家田崎和隆が、オーストラリア生まれのステラークと試みている一連のパフォーマンス/インスタレーションも、人間の身体機能をハイテクノロジーに結びつけながら、ライヴな生命活動をシミュレーション世界へ開示している作品である。
ここでも人間の機械化、あるいは人間化という二元論的なマン・アンド・マシーン的世界とは一線が引かれている。
バウハウスや未来派のなかでイメージ化されていたロボットではないし、人体に埋め込まれたサイボーグ的な付属品でもない。ステラークの身体と外部環境に発生するイメージ要素が、肉体的生体と連続しながら、分離/結合をあたかも引力と斥力の間に保たれた惑星のようにバランスさせている。それはステラーク自身にも、見ている観客にとっても、まことにスリリングな瞬間の連続である。
このようないくつかのハイテクノロジーによって開示されてゆく芸術活動をみると、イメージと物質の間に形成されてゆく環境シミュレーションや、身体シミュレーションを通過して、ふたたびあのCRT上のイメージ・シミュレーションを眺めてみると、ファミコン、ゲームを含むあらゆる映像装置が、近い将来さらに環境化し、身体接合化してゆく可能性を思わせる。その可能性は現在われわれが感じとっている三次元的な素材や装置の物質性や、作品制作の手仕事や、作品が果たしている芸術上での機能性を、さらに超えてゆく方向を暗示している。
映像装置の高精細度が進行するとともに、そこから生まれ、加工され、伝送されてゆくあらゆる映像の超薄膜化してゆくイメージが、存在と非存在の中間の浮遊場を創出しながら、必要とあらばあらゆる物質的相対(物質として扱うために中性化しつつある表面)の上に、束の間に止まり、束の間に消えてゆくような時を迎えるかもしれない。
それはおそらく、次世代のハイテクノロジー・アートの姿かもしれないし、またはそれらの現実化したイメージの発生と消滅の状態を、すでに物質性の失われた対象としてみれば、芸術という重たい言葉によって決めつける必要のないものとして感じるべきことなのかもしれない。
芸術は、次第にうつろいゆく陽炎のような形として、あるいは記録というよりは記憶に近い姿をもって、人間の周辺と人間の内部に漂うものとなるのかもしれない。

(やまぐち かつひろ/ビデオ作家・美術評論)

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