2000 「ジャンルの横断—実験工房」

「万歳七唱 ~岡本太郎の鬼子たち~」展
講座『アヴァンギャルドの冒険』第3回 1996年5月27日(土)

「ジャンルの横断—実験工房」
山口勝弘

表現分野を自由に横断しながら、その都度のプロジェクトと発表の内容に従って必要なメンバーがチームを作り計画を立て実現化する。実験工房の活動が時に明確なスタイルとして見えない理由は、このような活動方法を継続していたからである。
1951年から1957年まで18のプロジェクトによって実験工房としての活動が行なわれている。

実験工房の成立前1948年頃からの各メンバーの出会いから流動的な発表活動と研究活動の始まりを含めると約9年間になるがこの間の記録を調査すると岡本太郎との濃密な関係は、瀧口修造や粛藤義重との関係と交差しながら工房へ大きな影響を及ぼしている。

工房活動の性格を作り上げている思想的星雲のなかで重要な要素として芸術の社会的な場への積極的な関与あるいはメディア的な思考を含め次のような問題を中心にとり上げてみたい。

(1)絵画制作に関するメディア的思考

1950年代初めにカオス的状況にあったアヴァンギャルド運動のなかで、北代と山口によって思考されていた絵画作品の複数制作についての提案

①1950 年8 月12 日の北代による造画術の発表
絵画における複製とその意義について述べているがその中でキャンパス若しくはパネル上に筆によって描かれる工芸的手法をとっている。一方観賞方法は展覧会に展示されるかコレクターに所有されて限定された人びとにしか見られるチャンスがない。それに対して文学作品の出版、音楽作品の演奏とレコード化などより多くの機会を通して社会の中に流通しうる。とくに映画の場合はより大きな影響力を及ぼすことができる。
新しい版画としての印刷術と絵画制作方法の革新について「造画術」という工学的技術の導入を図る。

② 1950年 10月 21 日(山口日記より)
オブジェに当てられた光線により作られた影がそれ自身一つの絵画的空間として独立し、オブジェに仕掛られたメカニズムによって従来の絵画が表現しなかった運動を2次元上の空間にみせる試みの可能性。それは2次元空間と3次元空間の透入を図り、3次元空間のオブジェと2次元空間の運動する影をそれぞれ独自の存在として価値づける。 将来の壁面装飾の活用の道がある。

③ 1950年 12月 21 日(山口日記より)
北代氏の考える版画論より現実的な絵画複製論の提案。
作曲家の作品を色々な解釈で演奏家が表現するように作者自身が複製を行うのみならず、 製作者が寸法を変えたり材質感を変えたりモチーフのアレンジを行っても可能なリペインテッド(再絵画)の権利を保証する画作権を法律的に認める。
従来の絵画作品は創作者としての芸術家と製作者としての芸術家がl人に専属していた。 一品性のものであり過ぎたためヴァレリーカ時嘆に似た言葉で述べていたように最も古い型の労働者である画家の経済的自立のために、同じ絵を何回でも描けるような技術の改良
(他人により 10枚20枚の複製可能な描き方の)を提案している。※

(2)造形制作及び作曲活動における技術的可能性の実験が試みられる

①ピカソ祭「生きる悦び」このバレエ上演に際し上演中に特殊効果の部分があり秋山の詩(音声)とメトロノームの音のテープ上の合成が行なわれ、音響と造形作品と色光照明の効果が総合された。

②「実験工房第 5回発表会」における「オートスライド作品 J及び「テープレコーダーのための交響詩」の上演
スライド投影装置とデープレコーダーによる映像と音響の上演プログラムの同期を図る装置が東京通信工業(現 SONY)で開発されその装置によるマルチメディア作品の制作の依頼を受ける。一方秋山はテープレコーダーに録音される詩と音楽のテーフ上ての加工手法に基つく音響詩を提案した。すでに第1回発表の時からミュージックコンクレートの可能性と新しい櫛駒導入に積極句だった工房はマルチメディア型のソフト制作を行った。

③「バレエ実験劇場」
松尾明美バレエ団と実験工房のコラボレーションで行なわれ作曲に芥川也寸志と武満が参加。

④「神の固から谷底みれば」
日劇ミュージックホールと実験工房のコラボレーションが行なわれヴィトリーヌによる舞台装置と、スライド2面 映画l面の3面スクリーンによるマルチプロジェクションが行なわれる。

⑤「円形劇場形式による創作劇の夕」
演出家武智鉄二と実験工房のコラボレーションが行なわれ、シェーンべルグの「月に憑かれたピエロ」と三島由紀夫の「綾の鼓」の上演に協力し、とくに能や狂言のデザインを尖鋭化した北代と福島の舞台デザインと仮面や衣装が特色を生んだ。

⑥映画「銀輪」
新理研映画と実験工房のコラボレーションによる制作で、松本俊夫と円谷英二の協力によりシュールレアリスム風及と抽象映像のため特撮の映画デザインに工夫を重ねると共にフィルムの特殊処理を実験する。

⑦「ミュージック・コンクレート/電子音楽オーディション」
現代芸術研究所との共催により黛敏郎、柴田南雄、芥川也寸志などの参加による新しい時代の音響世界のデモンストレーションを行なう。

(3)この頃新しい音響についての理論的条件について考えていたこと

「オートメーションによる作曲」北代省三美術批評1956年1月号
ここで考えられている作曲は、コンピュータ・ミュージックの基本的原理を述べているもので、音楽表現にまつわる従来のいわく言い難い神秘性や、演奏家のクセなとについて新しい技術観の導入によって失なわれるものの是非を問うているのではない。ミュージック・ コンクレートや電子音楽の可能性を拓くための基本的条件を述へている。こうした北代の理論をもとに作曲家グループをはじめとする工房メンバーは討論を重ねていたのである。

(4)山口勝弘による「ヴィトリーヌ」(瀧口修造命名)の新しい空間造形 としての展開の可能性とその実践について

瀧口修造は次のように述べている。「一種の空間の音楽として鑑賞すればよいので、新しい建築の新しい装飾として推奨したいと思う。」
「海外の国際見本市の展示あたりに生かしたら面白いと思う。」
「現代のこうした芸術と建築を結ぶ機会ほど暖かな希望を抱かせてくれるものは、私にはありません。」
1954年以来3回にわたる銀座和光ギャラリーでの展示計画に第l回高村英也、第2回清家清、第 3回丹下健三により展示方法やデザイン計画に協力をえている。 またそれと平行して看板デザインやインテリアなと、への応用デザインも試みられている。

※これらの構想から約l年後、山口は「ヴィトリーヌ」という新しい表現手段の実験的制作を始める。その作品の構造からみて後に瀧口修造は「絵画とオブジの両棲類」と述べている。また山口は1953年「ヴィトリーヌ」の構造について「実用新案権」(No.1061) を取得している。