2000 「引出しの音」

「引出しの音」

私の事務所のある八丁堀のビルから東京駅の方を眺めると眼の前に「味の素」や「清水」のビルがある。これらの建物はまるで大きな箪笥のようにみえて、それぞれのフロアが引出しのように思える。オフィスのフロアをぐいっと引出してみると、何が入っているのだろうか。人間とコンピュータしか入っていないのではないだろうか。その連想からふとフランク・ロイド・ライトの落水荘が浮んできた。あの建物も見方によっては岩の上に引出しがのつかっているように見えて、その下から水が流れ落ちている仕掛けだ。
ところで、いまこの原稿を書いている机は、裁判官の父親が昔この上で判決を書いていたものである。やがて戦後新しい机を入れて私はそのお古を譲り受けて、この上で絵を書いたりしていた時期がある。最近この古い机を八丁堀のお店の方に置こうと思って運んできた。そのときこの机の引出しから父親と私の半世紀以上のがらくたが出てきた。しかし私が最近気に入っているのはこの引出しを開ける時の音である。がらくたよりもこの音の方が懐かしくもあり潜在的な記憶を呼び覚ましてくれる。昔の引出しにはこうした音の気配が残っている。最近のオフィスビルの机にはもう木造りの気配が失われている。何かとさわがしいデジタル時代の都会からはこういう気配が消えてしまってもの足りないことばかりである。

山口勝弘

2000「引出しの音」

1994 個展について

いつもヴィトリーヌで個展を開いていますが、今度はそれ以外の材料のもので発表するつもりです。ヴィトリーヌというのは、それなりの構造として、また私にとつてある形式の中で可能なかぎりの発現を試みることは非常に、興味のあることです。ある形式をつづけていつても、ある構造に縛られても、その中でできるだけ長く息をつづけていくというのは大切なことだと思います。だから自分の気ままな気分を大切にするためにも、またそういう形式や構造にあきあきしてしまうまで自分を縛っておくのです。それなのに、何故ほかの形式の作品を作るのかというと、やはり生まれつきの好奇心というものがまだなくなつていないで、違つたことを始めるのです。たとえば、ヴィトリーヌというのは表面のガラスの屈折作用によって描くという痕跡を消してしまうのですが、描くということは一体どういうことなのか、人間の手のくせとか動き方の限度とはどういうものなのか、そういうこととわれわれのもっている影像の表現とはどういう風につながるのが、と考えてくると形式とか技法をこえた問題にぶつかってきます。そうなってくると、やはり自分でやつてみて確かめてみたくなり、それはいつのまにか自分の好奇心を満足させてしまい、またその方法に自分を縛つて郁子とになつているのです。今度の作品について自分でそういう理由をつけています。

(「データベース・リフレクション展 自筆原稿 MAC用 1995.4」というフォルダ内の「自筆原稿19940111」フォルダーより)

1994 公衆電話

大分前のことだが、一時日本の作家の書簡集を読み漁ったことがあった。明治時代から大正時代まで活躍していた作家は、量も多く質も優れた、興味のある書簡集を遺している。中には、電話一つで簡単に片付いてしまうような事柄まで、筆を選んだり、片隅に俳句を考えたりしながら書いた手紙もあった。しかし現代の作家は、電話を使っているから、もし書簡集を作っても、果して先輩作家の量と質に匹敵するだけのものになるかどうか疑問である。むしろ、電話器にテープ・レコーダーを取付けて置いて作家の声を録音してレコードにすると良いかもしれない。電話は現代のわれわれの生活にとって不可決のものとなってしまった。

アメリカの抽象作家の、リチャード・リッポルドは、人間の発明した最も優美な発明物の一つとして電話を挙げている。人間が、自分の思想とか感情の伝達手段として文字という記号を用いていたことは古いが、音声そのものを使って会話を伝達するようになったのは、やはり電話器の発明以来のことだろう。僕は、人間がお互いに思想とか感情を伝達しあう方法の中で、電話というのは、抽象的でありながら、かなり微妙なニュアンスをもったものだと思う。手紙ならゆっくりと考えることもできるし、書いたことを全部破り捨てて新しく書き直すこともできるが、電話で一度しゃべったことは、取り消すことはできても相手が聞いたことまで取消しはできない。しかも、街の中でわれわれが利用する公衆電話は、必要な事柄だけしゃべって無駄な長話はエチケットに反する。だから、最小限度の時間と言葉とによってただ思想を伝えるだけでなく、感情の動きまで伝えなければならないのがのだ。取消とか、考慮の暇すら、一つの思想とか感情の動きとして相手に伝わってしまう。そういう意味で、僕は微妙な空中の架設物であるリッボルドの彫刻と、電話とを結びつけるのはひどくかけ離れたことではないと思う。

われわれが街で見つけて利用する公衆電話には、いろいろな種類がある。

大きく分けて、ボックスのものと、店先などに置いてあるものの二種類であるが、ボックスのものも、木製のものからスチール製のものまでいろいろある。しかし、電話の用事というのは急用が多いから、どこに電話が設置されているかよく目立つ色彩でなければならない。木製のボックスは黄色の塗装であるが、鮮明度を欠いていて街全体に沈みがちである。これに較べて、丹頂鶴というニック・ネームをもっている金属製のボックスは、形態も色彩も木製のものよりずっと秀れている。ボックスの外面の色彩も明るく、しかも街の中にとけ込み、屋根の赤が、全体のデザインのポイントであると同時に、電話の所在を発見するためのポイントともなっている。

しかし、機能的にいって、電話ボックスというのは、外部の街の騒音から抽象的な伝達手段を守るために、防音装置を考慮されていなければならないだろう。店先などに電話器だけおいてある場合などつくづく街の騒音の激しさを感じる。ボックスの中でさえも、近くを電車とか自動車が通っている所では、伝達がむつかしい。

それで思い出すのは、あの金属製のボックスのドアーのことだ。あのドアーは、完全に閉まるはずなのだが、半開きのまま閉まらないのが随分ある。僕は、この金属製のボックスの欠点は、このドアーの装置にあると思う。

こういうことは、われわれの日常生活で、よくぶつかることだ。電車が遅れたり、バスが故障したり、水道が出なかったり、停電したり、とにかくわれわれの日常生活に不可欠な設備が増えてくると同時に、その設備を、生活全体の中で統一的にもたなければならなくなる。同じ十円玉を支払っても、ドアーの完全に閉まらない公衆電話のボックスで話している時には、われわれの思想や感情の伝達は不完全であり、その人間の生活も統一されたものとなっていない。

毎日、街の中の小さな箱の中で、われわれは相手に分らない色々なパントマイムを演じている。瞬間瞬間の声の分からない表情や動作は、誰にも知られないでそのまま消えてゆく。

しかも、そういう間にも、巨大な規模と、複雑な空間時間の構成によって持続してゆく街の生活の中で、われわれの生活の統一を求めて微妙なパントマイムを演じているのである。

(「データベース・リフレクション展 自筆原稿 MAC用 1995.4」というフォルダ内の「自筆原稿19940111」フォルダーより)

1994 常識の見本

いわゆる専門家とか素人の区別なしに、ある時期ゴッホに憑かれた人たちは、随分たくさんいる。しかし僕は、まだ一度もゴッホに取り付かれたこともなく、進んでゴッホの絵に関心を払ったこともなかった。

本当に自分に合わない作家であり作品なのか、あるいは人びとが騒ぐものから意識的に遠ざかっていようとする気持ちからか、それらのどちらか、もしくは両方の理由かで僕とゴッホははほとんど無縁の作家であった。だからゴッホの生涯も作品も、僕にとって知識の域を出たことはなかった。

こういう場合、ゴッホ展を見るということは、単なる好奇心からかというとそうでもない。むしろ、いままで自分が遠ざけていたのが、本当に自分にとって、ゴッホの作品は何ものかを与える存在かどうかを、実際の作品の前で確認したかったので見にいったというべきだろう。

同じような見方は、ピカソ展の場合にもあったことを思い出す。そして今度もまた、ピカソ展の時と同じように、自分の見方をふたたび確かめたに過ぎなかった。絵が思っていたより綺麗だとか、そのせいで一般性があるのだということを感じたことまでが同じだった。

作家というのはみなそうなのかもしれないが、僕はことに作品の裏側へまわるのが嫌いだ。人間というものに一番興味をもっているために、僕は作品の裏側へまわって作家を調べたり、あるいは作品の内容とかいう便利な言葉で、絵画の下へ人生の下敷きをおくことを好まない。

おそらく、世上一般に、芸術ないしは芸術家というものに関するそういう常識が通用している事実のために、また、僕たちの近くにいる多くの進歩的な美術批評家すら、そういう常識から抜けだしていないために、僕は、一層いままでのような僕の見方を固執してしまう。

ゴッホは迷惑かもしれないが、彼はそういう常識の絶好の見本になっている。そして僕のように、常識の曇りのない眼をもった人間からみると、彼の作品は過去のものであり、作家としての僕に何ものも与えてはくれなかった。彼よりはゴーギャンの絵のほうが、現代にまでつながる問題をもっている。

(「データベース・リフレクション展 自筆原稿 MAC用 1995.4」というフォルダ内の「自筆原稿19940111」フォルダーより)